職場で苦手な人との付き合い方に悩んでいるとき、心の中にふと生まれる小さな違和感は、言葉にしづらいものです。
仕事そのものは嫌いではないのに、特定の誰かの存在だけで気持ちが重くなり、朝の準備や出勤前の時間に、説明のつかない疲れを感じることもあるかもしれません。
そういう感覚があると、「自分が我慢すればいい」「社会人なのだから仕事と割り切らなければ」と、心を押し込めようとする人も多いです。
けれど実際には、感情はスイッチのように消せるものではありません。
苦手だと感じる気持ちが生まれるのには、職場という環境や人間関係の構造が深く関わっています。そこに、弱さや未熟さがあるわけではないのです。
この記事では、「無理に仲良くしなくていい」という考え方を土台に、なぜ仕事と割り切ろうとしてもうまくいかないのかを整理しながら、心を削らずに済む現実的な距離感を探していきます。
挨拶や業務連絡は丁寧にしつつも、雑談までは背負わない。そんな境界線の引き方や、相手を役割として捉える見方も、日常の言葉でほどいていきます。
感情を無理に変えなくても、行動の距離や関わり方は調整できます。百点満点の人間関係を目指さなくても、心を守りながら仕事を続ける道はあるのです。
これから一緒に、なぜその苦しさが生まれるのかを心の仕組みから見つめ直し、今の場所で呼吸を少し深くするための距離感を探していきましょう。
職場に苦手な人がいると、なぜこんなにも心が疲れるのか

職場に苦手な人がいる状況は、想像以上に心のエネルギーを消耗させます。
ただ業務をこなしているだけのはずなのに、帰宅するとどっと疲れが出たり、休日になっても頭のどこかで職場の光景がよぎったりすることがあります。
これは、気のせいでも、気合い不足でもありません。
人は本来、安全だと感じられる場所でこそ力を発揮できるからです。
毎日長い時間を過ごす職場に、緊張を呼び起こす相手がいると、心は常に小さく身構えた状態になります。
その状態が続くことで、気づかないうちに疲労が積み重なっていきます。
ここではまず、なぜ職場の人間関係がこれほど心に影響するのか、その仕組みを静かに整理していきます。
毎日顔を合わせる関係が、逃げ場のなさを生む理由
職場の人間関係がつらく感じやすいのは、「毎日顔を合わせる」という条件があるからです。
友人関係であれば、距離を置くという選択もできます。
けれど職場では、出勤すれば必ず同じ空間に身を置き、同じ時間を共有することになります。
席が近い、会議で顔を合わせる、業務連絡を交わす。
そうした一つ一つの場面が積み重なり、心にとっては「常に意識せざるを得ない存在」になっていきます。
逃げ場がないと感じる状況では、人は無意識のうちに緊張を保ち続けます。
その緊張は目立たなくても、確実に心を疲れさせていきます。
相手そのものより「予測できなさ」がストレスになる
苦手だと感じる相手がいるとき、実は相手の言葉や態度そのものよりも、次に何が起きるか分からない感じが心を疲れさせることがあります。
今日は機嫌が良さそうに見えたのに、明日は急に冷たくなる。
普通に返すだけでよかったはずの連絡が、なぜか刺さる言い方になって返ってくる。
そういう揺れがあると、心は先回りして身構えます。
あの人の反応を読もうとして、メールの文面を何度も整えたり、話しかけるタイミングを探り続けたり。
その積み重ねが、仕事以外の部分でエネルギーを消耗させます。
人は、予測できる環境では落ち着けます。
でも、予測できない環境では、何も起きていなくても警戒が続きます。
苦手な人がいる職場がつらいのは、まさにこの警戒が日常になりやすいからです。
苦手意識が自己否定にすり替わってしまう心の流れ
もう一つ、職場の苦手な相手が厄介なのは、苦手だと感じる気持ちが自分へのダメ出しに変わりやすいところです。
うまく話せなかった。
嫌な言い方をされた。
その出来事があるたびに、気づかないうちに自分の内側へ矢印が向きます。
自分の伝え方が悪かったのかもしれない。
自分が気にしすぎなのかもしれない。
そうやって理由を自分の中に探し始めると、職場の出来事なのに心の土台が揺れていきます。
ここで大事なのは、苦手意識そのものは性格の欠点ではないということです。
相手との関係や状況の中で生まれる自然な反応にすぎません。
それなのに、職場という場では、うまくやれない感覚が自己否定と結びつきやすい。
この仕組みを知っておくだけでも、少しだけ心が守られます。
無理に仲良くしなくていいと考えてよい心理学的な根拠

職場で苦手な人がいると、どうにか関係を良くしなければ、と心が焦ることがあります。
でも、ここで目指すのは仲良しになることではありません。
仕事が進むだけの関係を保ちつつ、自分の心が削れない形に整えること。
そのためには、無理に仲良くしなくていいという考え方を、気休めではなく根拠のある土台として持っておくのが助けになります。
人は全員と分かり合えるようにはできていない
誰とでも自然に仲良くできる人がいる一方で、どうしても合わない相手が生まれるのは普通のことです。
ここで勘違いしやすいのは、合わない相手がいると、自分のコミュニケーション能力が足りないからだと結論づけてしまうことです。
でも、相性は努力だけで埋まるものではありません。
話す速さや声の大きさ。
仕事の進め方や大事にしている順番。
冗談の受け取り方や、距離の詰め方。
こうした細かな違いが積み重なると、どちらが悪いわけでもないのに、安心できない感覚が生まれます。
安心できない相手の前では、心が少し固くなります。
固くなった状態で関係を良くしようとすると、言葉がぎこちなくなり、相手の反応が気になり、さらに疲れる。
この循環に入ると、仲良くしなければという目標そのものが、心の負担になってしまいます。
分かり合えない相手がいるのは、人間としての欠陥ではありません。
人が多い場所で働く以上、自然に起きる現象の一つです。
職場は感情の場ではなく、役割の場という考え方
職場での関係が楽になるきっかけの一つは、相手を一人の人間として深く理解しようとしすぎないことです。
もちろん礼儀は大切です。
ただ、心の距離まで近づける必要はありません。
職場では、それぞれが役割を持っています。
担当者。
上司。
同じチームのメンバー。
その役割に必要なやり取りだけが成立していれば、仕事は進みます。
ここで助けになる考え方として、アドラー心理学で語られる課題の分離があります。
簡単に言うと、相手がどう感じるかは相手の領域であり、自分が背負いすぎなくてよいという整理です。
丁寧に挨拶をして、業務連絡を誠実に返す。
それをしたうえで相手が不機嫌になるなら、それは自分の努力だけでは動かせない部分かもしれません。
自分ができる役割を果たしたところで、心の責任まで引き受けない。
この線引きがあると、関係のしんどさが少し減ります。
仲良くしようとするほど関係が歪むこともある
苦手な相手に対して、なんとか好きになろう。
なんとか分かり合おう。
そう思うほど、心の中で矛盾が育つことがあります。
本当は近づきたくないのに、近づこうとする。
本当は嫌なのに、笑顔を作ろうとする。
この無理は、相手にも伝わりやすいものです。
相手が距離を詰めたいタイプなら、こちらの頑張りが逆に要求を増やすこともあります。
相手が距離を取りたいタイプなら、こちらの努力が重く見えることもあります。
結果として、仲良くしようとしたはずなのに、関係が余計にこじれる。
そんなことも起きます。
だからこそ、目標を変えるのが大切です。
仲良しではなく、摩擦を増やさない関係。
好きになる努力ではなく、すり減らない距離。
この方向に舵を切ると、心がようやく現実に合ってきます。
「仕事として接する」という割り切りがうまくいかない理由

職場の人間関係に悩んだとき、よく聞く言葉に「仕事なんだから割り切ればいい」というものがあります。
頭では正しいと分かっているのに、実際にはなかなかうまくいかない。
そのことで、さらに自分を責めてしまう人も少なくありません。
ここでは、なぜ割り切ろうとするほど苦しくなるのかを、心の動きから静かに整理していきます。
感情はスイッチのように切り替えられない
仕事の時間だから感情を止める。
そう言われると、できそうな気がするかもしれません。
でも、感情は意志で操作できる装置ではありません。
苦手だと感じた瞬間に、体は先に反応します。
胸が少し詰まる。
肩に力が入る。
声が硬くなる。
こうした反応は、考えるより前に起きています。
だから、割り切ろうと意識すればするほど、感情が動いていることに敏感になり、余計につらくなることがあります。
感じてはいけないと思うほど、感じている自分が目についてしまう。
その矛盾が、心の消耗につながります。
我慢で成り立つ割り切りは長く続かない
割り切りを我慢として使っているとき、心は静かに耐え続けています。
表面上は何事もなく仕事をこなせていても、内側では緊張が抜けません。
我慢は短距離なら走れます。
でも、職場の人間関係は長距離です。
数日や数週間なら耐えられても、何か月も同じ状態が続くと、ある日ふっと限界が来ます。
突然涙が出たり。
些細な一言で強く反応してしまったり。
そのとき初めて、自分が無理をしていたことに気づく人も多いです。
割り切りが苦しいと感じるのは、心が怠けているからではありません。
耐え方として無理があるだけです。
割り切りとは、感情を消すことではない
ここで大切なのは、割り切りの意味を少しだけずらすことです。
感情を消すことを目標にすると、必ず行き詰まります。
そうではなく、感情が動いても行動の距離は選べる、と考えてみてください。
苦手だと感じながら、必要以上に近づかない。
違和感を覚えながら、役割としての対応だけをする。
この形なら、感情と戦わなくて済みます。
感情はそのままにしておく。
でも、行動は静かに整える。
これが、現実的な割り切りです。
次の章では、この考え方を土台に、心を守るための具体的な距離感について見ていきます。
心を守るための「現実的な距離感」という考え方

割り切りが難しいのは、感情を止めようとしてしまうからでした。
でも、感情は動いてもいい。
そのままでも、行動の距離は選べます。
この視点に立つと、目指す方向が変わります。
相手を好きになることではなく、心が削れない関わり方に整えること。
それが、現実的な距離感という考え方です。
ここでは、物理的な距離と心理的な距離を使い分けながら、関係を悪化させずに自分を守る方法を見ていきます。
距離を取ることは、拒絶ではなく調整
距離を取るという言葉には、冷たい印象がつきまといやすいです。
でも実際には、距離は関係を壊すためではなく、続けるための調整として使えます。
近すぎると息が詰まる相手でも、適切な距離があると仕事は進みます。
この距離は、相手を傷つけるためのものではありません。
自分の消耗を減らし、必要な場面で落ち着いて対応するための工夫です。
ここを拒絶と捉えてしまうと、距離を取るたびに罪悪感が生まれます。
罪悪感があると、結局また近づいてしまい、疲れが戻ります。
調整だと捉えると、心の中で許可が出ます。
自分の呼吸を守るための距離だと理解できるからです。
物理的距離と心理的距離の使い分け
距離には二種類あります。
目に見える物理的距離と、目に見えない心理的距離です。
物理的距離は、席の位置や立ち位置、関わる時間の長さで変えられます。
例えば、用事がないときに相手の近くへ寄らない。
必要な連絡はチャットやメールで済ませる。
同じ空間にいても、接点の回数を少し減らす。
こうした工夫は、関係を荒立てずにできることが多いです。
一方で、物理的に近い状況を変えにくい職場もあります。
そのときに役立つのが心理的距離です。
相手の一言を、自分の価値への評価として受け取らない。
相手の機嫌を、こちらが責任を持つものだと考えない。
相手の反応を読もうとしすぎない。
こうした内側の線引きは、見えない距離を作ります。
物理的距離が変えられなくても、心理的距離は育てられます。
「挨拶はするが、雑談はしない」という境界線の引き方
現実的な距離感を作るうえで、分かりやすい境界線があります。
挨拶はする。
でも、雑談は無理にしない。
この線引きは、冷たさではなく役割に徹する態度として伝わりやすいです。
挨拶は、その場の空気を荒らさず、関係の最低限の土台になります。
おはようございます。
お疲れさまです。
ありがとうございます。
すみません。
この範囲を丁寧に保つだけで、相手がこちらを無下にしにくくなることがあります。
一方で、雑談は距離を縮める行為です。
苦手な相手との雑談は、心の消耗を増やしやすい。
だから、話題を広げない。
相槌は返すが、こちらから話を乗せない。
用件が終わったら会話を終える。
こうした小さな選択で、近づきすぎを防げます。
境界線がはっきりすると、相手の反応に揺さぶられにくくなります。
心を守る距離感が、少しずつ形になります。
苦手な相手に振り回されないための三つの視点

苦手な人との関わりで消耗しやすいのは、相手を変えようとしてしまうときです。
相手の態度が変われば楽になる。
相手が優しくなれば落ち着ける。
そう考えるのは自然ですが、職場ではそこに期待を置きすぎるほど心が疲れます。
ここでは、相手を変えるよりも、自分の見方と立ち位置を整えるための三つの視点を扱います。
どれも大きな努力ではなく、心の消耗を減らすための小さな切り替えです。
相手を「性格」ではなく「行動」として見る
苦手な相手を前にすると、人はつい性格で説明したくなります。
意地が悪い人。
自己中心的な人。
そうラベルを貼ると、分かった気になれて一瞬は楽になります。
でもこの見方は、心の中で相手を巨大化させやすいです。
巨大化した相手は、どこまでも自分を追い詰めます。
そこで役立つのが、問題と人を切り離す見方です。
心理の世界では外在化と呼ばれる考え方で、簡単に言うと、相手そのものではなく、今目の前にある行動だけを見ます。
刺さる言い方をした。
確認せずに決めつけた。
声が強かった。
このように行動として扱うと、心の中で扱える大きさになります。
相手がどういう人かを裁く必要がなくなり、次にどう対応するかに意識を向けやすくなります。
行動を見るというのは、冷たくなることではありません。
自分の心を守るための整理の仕方です。
期待を下げることで失望を減らす
苦手な相手に疲れるとき、実は怒りや悲しみの芯に、小さな期待が残っていることがあります。
分かってほしい。
普通に話してほしい。
せめて嫌な言い方はやめてほしい。
この期待は当然です。
ただ、期待があるほど、裏切られたときの痛みは増えます。
ここでの期待を下げるは、諦めて黙るという意味ではありません。
相手が変わることを前提にしない、という整理です。
挨拶は返ってこないかもしれない。
言い方は変わらないかもしれない。
そう見立てたうえで、自分は役割としての対応だけをする。
この形になると、失望が減ります。
期待が薄いほど、心は揺れにくいからです。
そして、揺れにくいときほど、必要な場面で冷静に言葉を選べます。
結果として、仕事が回りやすくなることも多いです。
反応しないという立派な選択
苦手な相手の一言に対して、何か返さなければ。
その場で正したほうがいい。
そう思って、反射的に言葉を返してしまうことがあります。
でも、反応することが正解とは限りません。
相手の言い方が荒いときほど、返した言葉が燃料になりやすいからです。
ここで大切なのは、反応しないは逃げではないということです。
一度受け止めて、必要な対応だけを返す。
論点だけを拾って返す。
感情の部分には触れない。
こうした返し方は、相手の土俵に乗らないための技術です。
相手が強い口調で来ても、自分の声量は上げない。
相手が皮肉を言っても、自分は事実だけを確認する。
この静かな対応は、心を守りながら仕事を進める助けになります。
反応しないを選べるようになると、相手の一言が人生の中心に居座りにくくなります。
職場の一場面として、扱える大きさに戻っていきます。
それでも心がすり減るときに起きていること

距離を取る工夫もしている。
反応しない選択も覚えてきた。
それでも、なぜか心が軽くならない。
そんな時期があります。
この段階で大切なのは、やり方が間違っていると結論づけないことです。
心がすり減るときには、目に見えにくい負荷が積み重なっていることが多いからです。
ここでは、うまくやろうとしているのに苦しいとき、内側で何が起きているかを静かに見ていきます。
小さな違和感を溜め込みすぎていないか
苦手な人との関わりは、分かりやすい衝突よりも、小さな違和感の連続として残りやすいです。
言い方が少し刺さった。
目を合わせてもらえなかった。
必要な情報だけが共有されなかった。
こうした出来事は、一つ一つは些細に見えます。
だからこそ、自分で自分に言い聞かせてしまいます。
気にしすぎかもしれない。
大したことではない。
そうやって流しているうちに、違和感が未処理のまま積み上がります。
未処理の違和感は、心の中で終わったことになりません。
表に出さないぶんだけ、内側で居座り続けます。
そして、ある日まとめて重さとして感じられます。
この段階では、まず溜め込みが起きていないかを見つめることが助けになります。
誰かにぶつける必要はありません。
でも、自分の中で起きたことを、起きたものとして認める。
それだけで、心の圧が少し抜けます。
頑張り続けている人ほど限界に気づきにくい
苦手な人がいても、仕事は止まらない。
だから、こなすしかない。
そうやって踏ん張っている人ほど、限界の手前で踏みとどまり続けます。
問題は、踏みとどまれているうちは、疲れが見えにくいことです。
体調は崩していない。
仕事も遅れていない。
周りから見れば普通にやれている。
その状態だと、心が出しているサインを軽視しやすくなります。
例えば、帰宅後に言葉が出なくなる。
休日に何もしたくなくなる。
朝の支度が遅くなる。
これらは怠けではなく、消耗のサインであることが多いです。
頑張れる人ほど、自分の不調を後回しにします。
でも、後回しにしたぶんだけ、回復に時間がかかります。
この章で伝えたいのは、頑張れているから大丈夫とは限らないということです。
頑張れている人こそ、早めに心の摩耗に気づいてよいのです。
「これ以上は無理」という感覚は正しいサイン
もうこれ以上は無理。
そう感じる瞬間があると、多くの人は自分を責めます。
こんなことで弱音を吐くなんて。
もっと器用にやれればいいのに。
そうやって、限界の感覚を否定しようとします。
でも、限界の感覚は壊れた証拠ではありません。
むしろ、壊れないために出てくるサインです。
心は、無理を続けると守るためにブレーキをかけます。
それが、これ以上は無理という感覚として現れます。
このサインに気づけた時点で、もう一つの選択肢が手に入っています。
近づきすぎない。
抱え込みすぎない。
必要なら助けを借りる。
そうした方向に舵を切るための合図です。
限界は恥ではありません。
自分の心が、自分の味方として出している正しい信号です。
距離を保っても状況が変わらない場合の考え方

距離を取る工夫をしても、
視点を変える努力をしても、
相手の態度が変わらないことがあります。
このときに一番つらいのは、ここまでやっても無駄だったのかという感覚です。
でも、状況が変わらないときほど、発想を少し広げることが助けになります。
相性の問題だけではなく、職場の構造や役割の配置が、しんどさを固定している場合があるからです。
ここでは、個人の努力でどうにもならない領域があることを整理しながら、自分を守る選択肢を増やしていきます。
個人の相性ではなく、構造の問題である場合
苦手な人がいること自体は、どの職場でも起き得ます。
ただ、同じ相手でも、配置や仕組み次第でしんどさの強さは変わります。
例えば、権限の差が大きい関係です。
評価や仕事の割り振りを握られていると、距離を取ること自体が怖くなります。
あるいは、業務が属人化していて、その人を通らないと仕事が進まない場合です。
この状態だと、物理的距離を取れなくなります。
さらに、周囲が見て見ぬふりをしている環境もあります。
一対一の問題に見えて、実は職場全体の空気が支えてしまっている。
そういう構造だと、個人がいくら丁寧に振る舞っても、状況が動きにくいです。
ここで大切なのは、動かない理由を自分の力量に結びつけないことです。
変わらないのは、あなたの努力が足りないからではない。
仕組みが変化を起こしにくい形になっているだけ。
そう整理できると、心の責めが少し軽くなります。
相談することは逃げではない
状況が固定されていると感じるとき、一人で抱え込むほど消耗します。
でも、多くの人は相談にブレーキをかけます。
大げさだと思われたらどうしよう。
弱いと思われたらどうしよう。
そう感じてしまうからです。
けれど、相談は誰かを悪者にするための告げ口ではありません。
自分の働きやすさを守るための調整です。
伝えるときの軸は、相手の人格の批判ではなく、業務上の困りごとに置くと安全です。
連絡が滞って業務に支障が出ている。
指示が曖昧で手戻りが増えている。
会話の場で緊張が強くなり、作業の効率が落ちている。
こうした形で事実を整理すると、相談は現実的な改善の話になります。
そして、相談は必ずしも大きな決断を意味しません。
席の配置を変える。
連絡経路を変える。
担当範囲を見直す。
小さな調整で、心の負荷が下がることもあります。
助けを借りるのは、頑張らない宣言ではありません。
仕事を続けるための賢い選択です。
自分を守る選択を後回しにしない
距離を取っても変わらない。
相談しても改善が難しい。
そんなとき、心はついもう少しだけ耐えようと言い始めます。
ここで注意したいのは、耐えられると耐えてよいは別ということです。
耐えられてしまう人ほど、自分を守る選択が遅れます。
そして遅れたぶんだけ、回復が遠回りになります。
自分を守る選択とは、必ずしも転職や異動だけではありません。
記録を残す。
関わり方のルールを明確にする。
第三者を同席させる。
必要な場面でだけ距離を詰め、それ以外は整える。
こうした具体策は、今の場所でできる守り方です。
それでも難しいときには、環境を変える選択肢も含めて、情報を持っておくことが心の支えになります。
大事なのは、追い込まれてから探し始めないことです。
自分を守る準備は、元気が残っているうちに整えたほうがやさしい。
その視点を持つだけでも、心は少し落ち着きます。
無理をしない付き合い方が、仕事を続ける力になる

苦手な人がいる職場で、心を守りながら働く。
それは、根性で耐えることとは違います。
関係を百点に整えるのではなく、自分が消耗しない形に調整する。
その発想に切り替えるだけで、仕事を続ける力は少し戻ってきます。
ここでは、関係を変えなくても自分の立ち位置は変えられる、という感覚を育てていきます。
苦手な人がいても、仕事は続けられる
職場に苦手な人がいると、毎日が試験のように感じることがあります。
今日も無事にやり過ごせるだろうか。
余計なことが起きないだろうか。
そんな緊張が続くと、仕事の目的がすり替わります。
成果を出すより、傷つかないことが最優先になる。
その状態は、とても疲れます。
でも、ここで思い出してほしいことがあります。
仕事は、人間関係の完璧さで成り立っているわけではありません。
必要な連絡が届く。
必要な確認ができる。
必要な締め切りが守られる。
その流れが成立していれば、仕事は回ります。
つまり、苦手な人がいても続けられる形は作れます。
仲良しになる必要はありません。
好かれる必要もありません。
職場の役割として必要な動きだけを丁寧に積み重ねる。
それだけで、毎日は少し現実的になります。
関係を変えなくても、自分の立ち位置は変えられる
相手が変わらないとき、人は無力感に飲まれやすいです。
こちらが努力しても意味がない。
そう感じると、心は閉じていきます。
でも、相手が変わらなくても、自分の立ち位置は調整できます。
例えば、相手の言葉を真に受けてしまう立ち位置から、業務の情報として受け取る立ち位置へ。
相手の機嫌を読もうとする立ち位置から、必要な確認だけをする立ち位置へ。
こうした立ち位置の移動は、小さいのに効きます。
アドラー心理学の考え方で言えば、相手がどう思うかは相手の課題です。
自分は自分の課題として、丁寧な挨拶と業務連絡を守る。
それ以上の評価や感情の責任は引き受けない。
この線引きを持つだけで、心の姿勢が変わります。
立ち位置が変わると、同じ出来事でも受けるダメージが減ります。
傷つかないふりをするのではなく、傷が深くならない場所に立つ。
その感覚です。
今日から少し楽になる距離感を選ぶ
ここまで読んできた中で、どれか一つでも。
これならできそう、と思えるものがあれば十分です。
距離感は、完璧に守るものではありません。
疲れている日は近づきすぎてしまうこともあります。
反応してしまう日もあります。
それでも、また戻せばいい。
挨拶はする。
雑談は無理にしない。
必要な連絡は丁寧に返す。
相手の言い方には乗らず、論点だけを拾う。
この小さな選択を積み重ねると、百点満点の関係を目指さなくても、仕事は続けられます。
そして何より、心が少しだけ息をしやすくなります。
苦手な人がいることは消えないかもしれません。
でも、自分の消耗の仕方は変えられます。
今の場所で、今の心のままで、呼吸を少し深くする。
そのための距離感を、今日から選んでいけます。
まとめ
職場で苦手な人がいるとき、無理に仕事と割り切ろうとすると、かえって心が苦しくなることがあります。
感情は動いてもいい。
そのままでも、行動の距離や関わり方は整えられます。
挨拶や業務連絡は丁寧にしつつ、雑談までは背負わない。
相手を性格ではなく行動として捉え、期待を下げて失望を減らす。
百点満点の関係を目指さなくても、仕事を続けながら心を守る道は残っています。
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